ファヴェーラとは一般的にスラムや貧民街のことを指し、リオデジャネイロは国内でも一番居住者率が高いです。様々な統計があり正確とはいえませんが、一説にはリオ市民の4人にひとりがlファヴェーラに住んでいるとも。
ブラジル全体では1200万人以上がファヴェーラに住むという統計もあります。
ファヴェーラという名前の由来
ファヴェーラというのは植物"ファヴェレイラ(faveleira)"が由来。
1895年から96年にかけてブラジルの北東部バイーア州で起きた内戦、カヌードス戦争(もしくはカヌードスの反乱)が、ファヴェーラが生まれるきっかけに。
アントニオ・コンセリェイロ(自称助言者)という人間が、1890年代前半、貧しい人々にキリスト教の教えを説いて回り、次第に増えた信者たちとともにカヌードス村を築く。
政府は帝政から共和制への変換期でした。カヌードス側は政府に対し不満を膨らませ、反乱を起こし、政府は陸軍の精鋭を筆頭にした遠征隊を派遣します。
激戦の末、政府側が勝利。カヌードス村の住民はコンセリェイロ含めほぼ全滅しました。
政府側の遠征隊の中には、元奴隷の黒人たちが多く含まれていました。任務を終えて当時の首都リオデジャネイロに戻るも、政府側から住居は提供されなかったのです。
そのため、その元奴隷たちの多くが現在「Morro da Providência(モーホ・ダ・プロヴィデンシア)」と呼ばれている丘にのぼり、自ら家を建てはじめました。この丘には、ファヴェレイラがたくさん生えていました。そのため次第にファヴェーラの丘と呼ばれるようになります。
そして国内で公式にファヴェーラという言葉が使われたのは116年前、1900年11月4日のこと。当時のリオ市警察署長が、プロヴィデンシアの丘を「Morro da Favela」と公文書に記載したのが最初と言われています。
現在ではリオデジャネイロ市だけでなく、他の都市でもこの日をファヴェーラの日と制定しているところもあります。特にお休みになるわけではありませんが、ファヴェーラ関係の映画上映などイベントがあったりします。
貧困、犯罪者の巣窟など悪いイメージがつきまとう一方、リオやブラジルの代表的な文化がファヴェーラから生まれることもあります。多くの住民は犯罪とは無関係で、懸命に生きています。また、住民が内部から変えていこうと、教育的・社会的・文化的プロジェクトを立ち上げている人もいます。
この記事では、長くなりすぎてしまうので、今日がファヴェーラの日であるということに留めますが、ファヴェーラ関連の気になるトピックはメガブラジルに投稿したり、このブログに書いたりしていきます。
私は、住民のパワーでいい方向に変わっていくファヴェーラを、あくまでこちらの報道を通してですが、見てきて強いインスピレーションを受けました。
問題は根強いことが多いですが、悪いことばかりでなくいいニュースもたくさんあるので、少しでも紹介していけたらと思ってます。
ちなみに冒頭の写真は、Museu de Arte do Rioの一階にある作品"Projeto Morrinho"です!
ラランジェイラス地区にあるコミュニティで作り始められたもので、1997年当時14歳だったNelcirlan Souza de Oliveiraくんがコンクリートブロックやリサイクルした廃棄物などを利用し、ファヴェーラの情景を組み立て始めたとか。
スポンサーリンク
0 コメント:
コメントを投稿